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なおモンの方丈紀 PR

『正義』と『悪』を”はっきり”させちゃうと危ない

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こんにちは。
なおモンです

今日の話題

世の中”はっきり”と棲み分け&区別できることばかりではないですよね?

『正義』『悪』も、その中の一つになると思います。

いわゆる”グレーゾーン”と呼ばれることもあるわけじゃないですか。

それを何でもかんでも区別してしまうのは、個人的に良くないと思っています。

とはいえ道徳的&倫理的、法律的に明らかに逸脱したものは、当然ダメですよ!

ただ人の解釈次第で交渉の余地があるものに関しては、それぞれの事情に合わせて対応するのも必要だと思うんです。
線引きをハッキリさせるのも大事なんですが、時と場合によって柔軟にしていくものもあるはずです。

それに『正義』『悪』をハッキリさせてしまうことの弊害ってそれだけじゃないと思っていて。
その考えが行き過ぎると、自分を間違った方向に正当化してしまう恐れがあると思っています。

ちょっと例えとして持ち出すのはズレてるかもしれませんが、海外で大学生に協力してもらい、『囚人役』『看守役』の役割を与えた実験が行われたことがあります。
その実験では最終的に、ただ”役割を与えただけ”のはずなのに、それぞれの学生がまるで本物の囚人や看守になったように振る舞ってしまったそうです。
※それがあって実験は比較的初期の段階で中止せざるを得なくなったそうです。

つまり何が言いたいのか?というと、「人間は大義名分があったら暴走してしまう危険性がある」ということです。

先ほど例に出した実験からも看守役を与えた学生が、囚人役の学生を本物の囚人のように扱っていたそうです。

これは”正義は自分にある”といった行き過ぎた考えによってもたらされたものだと、個人的に思っています。

つまり「自分は正義なんだから、悪に対しては何をしても良い!」こう言う風に思ってしまったからこそ、実験のような結果になってしまったんではないでしょうか?

少し話がまとまっていないんですが、私が言いたいことはコレです。
「他人との境界線を認識して、認めていきましょう」です。

人にはそれぞれの考え&正義があります。100人いれば100通りの考え&正義があるんです。

だからこそ自分の考えを押し付けようとしても、上手くいくはずがないんです!
ましてや納得させて変えていこうとするのも、もっと大変なはずです。

そしてなにより”自分の正義は誰かにとってみれば悪かもしれない”こう言う視点を持つことも必要なんじゃないかと思うんです。

他人を尊重して認めて、そして自分自身も大切にしていく。
そうして考えや意見を擦り合わせていく。

理想論かもしれませんが、そんな考え方が広まって、社会がより良くなっていければ良いなと願っています。

今回は以上になります。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

ABOUT ME
なおモン
閉塞感を感じている現状を変えるべくブログを開設しました セミリタイアを夢見るアラサー低賃金労働者です

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