突然ですが質問です、「投資」って何だと思いますか?
いきなり過ぎますよね(笑)。なんの脈絡もなく聞きましたが、少しだけ考えてみてください。
言葉としての意味は「利益を見込んで自己資金を投じること」となっています。
その対象は事業だったり、自分だったり、他人だったり。株式や、債券、不動産、仮想通貨、コモディティ(商品)など様々です。
世の中の投資家は損してしまったり、最悪お金を失うかもしれないのに、それ以上の”利益がある”からお金を投じます。
では、利益が見込めるものにお金を投じることしか投資にならないのでしょうか?もっと直接的な言い方をすると”見返りがあるもの”にしか投資してはいけないのでしょうか?
もちろん、誰しも損したくないはずですし、自分自身のお金なら尚更失いたくないでしょう。それは分かります。
それを踏まえた上で言わせてもらうと、私はそうは思いません!
少なくとも”株式投資においては”、そう思いたくありません!
株式会社がどのような起源で始まったのかをご存知でしょうか?
諸説ありますが、16世紀〜17世紀の大航海時代に株式会社の仕組みが出来た、とされています。
当時、ヨーロッパの人々は海を渡った異国の地に香辛料(その時は高級品)を求め、船を作り航海に出ていました。
船を作るのにも、航海にでて貿易するにも莫大なお金がかかります。当時の庶民(個人)レベルでは到底出来ない、スタートラインにすら立てない状態でした。
では当時の人々はどうしたのでしょうか?どうやってお金を調達したのでしょうか?
その答えが「出資者を募った」、です!
航海に出る前に出資者を募って資金を集め、航海から帰ってくると貿易の収益を出資者に分配して清算する、こういう形が取られるようになりました。この仕組みが株式会社の起源とされています。
ここまで読むと、「当時も収益(利益やリターン)があるから投資をしたんだ」、と考えてしまいそうになります。
確かにその考えが大部分を占めていたと思います。
しかし、貿易後の未来を語る姿を見て、こう考えた出資者もいたのではないでしょうか?
👨🏻🦳「面白いじゃないか、その話乗った!お金出すから頑張りな!」と。
何が言いたいのか?というと、「投資には”応援”の意味もある」です。
もちろん自分の身銭を切る投資である以上、損失を避け利益を追求する必要があります。(本当に応援の気持ちだけなら寄付で良いじゃんとなるからです)
ただ自分の利益ばかりを追い求めてお金を投じるのは、悪いことだとは言いませんが、その考えに支配されている世界は何だか寂しい感じがします。
周りを見渡してみたり、はたまた人生を振り返ってみて、「お金を払ってでも応援したい!」そう思った経験はありませんか?
投資≒応援という認識を持つことができれば、違ったふうに世界を見ることができます。
昨今の株式投資を取り巻く環境には「とにかく投資家が儲かれば良い!」みたいな印象を受けます。
繰り返しになりますが、私は利益を追求する利己的な考えを否定する気はありません。ただ利己的な考えに支配される世界に寂しさを感じるだけです。
ここまで書いてきたことをまとめると、企業に投資をするということは、見方を変えるとその企業を応援することに繋がる、ということです。
多くの日本人は、まだ投資に対してネガティブなイメージを持っていると思います。
バブルの崩壊や経済成長せずに数十年間停滞した(俗に言う”失われた30年”)経験があるため、仕方のない部分があります。
ですが、「そろそろマインドブロックを外す時期に差し掛かっている」と個人的に考えています。
資本主義が続いていく以上、r >gという状態が永続します。
これは、「投資をしないとジリ貧になっていく」ことと同じ意味です。
とはいえ「誰しもが投資をやるべき」という極端な主張をしているわけではありません。
取れるリスクや、人の状況は様々だからです。
私には投資に対するハードルを少しでも下げれるように情報発信を続けていく、これしか出来ません。
ほんの少しでも皆さんの未来を明るくできるように、これからもやり続けていきます。
今回は以上になります。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。