こんにちは。
なおモンです。
今日の話題
著名人の西村博之(ひろゆき)さん。皆さんご存知でしょうか?
歯に衣着せぬ物言いで、昨今何かと話題になっているあの方です。
(あっ、もちろん褒めてますよ!😅たまに意見の食い違いがありますけど個人的に好きな方ですし…)
そんな西村博之さんですが、10月27日X(旧Twitter)にこんな投稿をしていました。以下ツイートを引用します。
ひろゆき「「全ての高齢者が『延命治療は望まない』と宣言してほしい。これで孫の世代の生活は少しは良くなります。」 周りのことを考える高齢者ほど免許を返納する。 延命治療拒否も、次の世代のことを考える人ほど社会を去り、免許返納しないとか自我を優先する高齢者ほど社会に居続けるという構造に、、」
これには当然ですが、物議を醸す形になりました。
※およそ2ヶ月前の話題引っ張り出すことに、疑問を感じた方がいらっしゃるかもしれません。
この話題を出したのは、すいません🙇私がつい最近この話題を知ったからです。
さて、コチラのポスト(ツイート)対しての(特に『延命治療』の部分)私の意見ですが、
「うん、ひろゆきさんの言いたい事は分かる!ただ全員にそれを求めるのは違うよね!」です。
そして、否定的な意見を挙げている(ひろゆきさんに噛み付いている)方にも言いたいことがあって、「言葉の違いが分かってれば、捉え方変わるんじゃないかな?」です。
今回この話題について、色々思うことを書いていこうと思います。
この話題自体センシティブというか、慎重にならなきゃいけない話です。
なので、途中不快に思ってしまう表現も出てくると思いますので、嫌な方はここでブラウザバックしてください🙇
それでは本題に参ります。
私が引っ掛かっていること
ひろゆきさんへの否定的な意見の中に「じゃあ自分(もしくは親)がその状況になった時に同じ事言えますか?」というものがありました。
確かにそう言いたくなる気持ちも分かります。あくまで「その意見って他人事だから言えるんでしょ?」「自分の身に降り掛かったらそうならないよね?」と思ってしまいますよね?
ただ今回ひろゆきさんの意見って、「『延命治療』を拒否することが必要だよね?」と言っているんだと思うんですよ。
ちなみに「延命」と「救命」の違いって理解してる人どれくらいいますかね?
「救命」とは文字通り「命を救う事」です。
「延命」とは「生命活動を(人工的に)延ばす事」です。
🤔「あれ?同じじゃないの?」と思いましたか?でも似た言葉のようで全然違うんです!
今回問題になっているのは「延命」なんです。「延命」というのは、助かる見込みの無い(例えるなら意識が無い寝たきりの)中で生命維持装置に繋がれて、かろうじて生きている状態の事です。
それって生きているって言えるんでしょうか?
生命活動をしている、すなわち『生物的には生きている』と定義される状態って本当に生きているんでしょうか?
だからこそ意思表示が必要
ご家族の気持ち的には、「どんな形であれ生きていて欲しい!」と願うと思います。
だからこそ、未だ自分の意識がある内に本人が意思表示をするべきなんです。
ちょっと不謹慎な話を出しますが、福本伸行さんが描いた「天 天和通りの快男児」に赤木しげるというキャラが登場します。
その赤木しげるの最期ってご存知の方いらっしゃいますか?
赤木しげるはアルツハイマー病を患い、自分が自分じゃなくなる前に自らの人生を終わらせようとします。
こんな風にみんなが潔く決断出来るわけがないんですが、こういう意思表示は必要だと思います。
寝たきりの状態になって、意識も無く、生命維持装置のチューブが体全体に繋がれている。
そんな状態になってまでも「生きていたい」若しくは「それは望まない」と、どちらにせよ本人が願うのであれば個人の意見を尊重するべきです。
なので個人の望みを尊重しない今回のひろゆきさんの意見には、ちょっと賛同しかねます。
まとめ:人を批判する前に一旦立ち止まってみて
冒頭、否定的な意見を持っている人に対して「言葉の違いが分かってれば、捉え方変わるんじゃないかな?」と書きました。
ひろゆきさんの論調は結構過激なので、感情的になってしまう気持ちの分かります。
ただその方も、先ほど説明したように「延命」と「救命」の違いを知っていれば感じ方が変わると思います。
一旦深呼吸して冷静になった後に、もう一度読んでみたら印象が変わると思いますけどね。
感情に任せることなく、その人が言いたいことをフラットに感じ取ることができれば、ただ単に否定意見ではない建設的な意見が生まれると私は考えます。
今回は以上になります。
なんか自分の書きたいことが上手くまとまってなくて、読みにくく感じてしまったら申し訳ありません。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。