みんな、お疲れさま!なおモンだ。
「利他の心が利己を上回ることはあるのか?」
いきなりだけど、この問いに「YES!」と即答できるやつ、どれくらいいる?
正直、俺は昔、「利他」なんて綺麗事だと思ってた。
ちなみに、「利己」は自分の利益を優先すること、「利他」は他人の利益を優先することだ。
だってさ、会社ではライバルを蹴落とさなきゃいけないし、給料を上げるためには自分の成果をアピールしなきゃいけない。
「他人のことなんて考えてる場合じゃない、まずは自分だろ!」って本気で思ってた。それくらい”自分勝手”だったんだ。
でも、そうやって自分のことだけ考えて行動した結果、どうなったか?
一時的に成果は出たかもしれないけど、周りの協力は得られないし、何かあったときに助けてくれる仲間もいない。
結局、自分のことしか考えてない人間には、人もお金もついてこないってことに気づいたんだ。
今回の記事を読めば、そんな「自分さえ良ければ」という狭い考えから抜け出して、もっと大きな成功を掴むためのヒントが見つかるはずだ。
利他的な行動が、どう巡り巡って自分を潤すのか、一緒に考えていこう。
「自分さえ良ければ」から抜け出せない俺たち
Point:人は利己的な生き物。まずはその事実を認めることがスタートライン。
正直に言おう。人間は、みんな利己的な生き物だと思う。
だって、お腹が空いたら自分のためにご飯を食べるし、危険な状況に陥ったら、まずは自分の身を守ろうとする。
これは、生物として当たり前のことだ。
俺だって、昔は「いかに自分が楽をして、いかに自分が儲かるか」ってことばっかり考えてた。
でも、その結果どうなったか?
一時的には儲かったかもしれないけど、長続きしないんだ。周りからは誰も協力してくれないし、何かあった時に助けてくれる人もいない。
結局、自分のことしか考えてない人間には、人もお金もついてこないってことに気づいたんだ。
利他の心が、巡り巡って自分を潤す
Point:利他は自己犠牲ではない。それは、未来の自分への「先行投資」だ。
じゃあ、「利他」の心を持てば、みんな幸せになれるのか?
俺が思うに、「利他」っていうのは、ただ単に自己犠牲をすることじゃない。
それは、未来の自分への「先行投資」なんだ。
例えば、誰かの困っている姿を見て、自分が損をしてでも助けてあげる。
一見すると、それは自分の利益を損なう「利他」的な行動に見える。
でも、その行動を見た周りの人はどう思うだろう?
「あの人は困っている人を助ける、信用できる人だ」って思ってくれるかもしれない。
そして、いつか自分が困ったときに、その人が助けてくれるかもしれない。
つまり、利他的な行動は、「信用」という名の資産を生み出すんだ。
そして、その信用という資産は、お金には変えられない価値がある。
お金は裏切るかもしれないけど、信用は裏切らない。
だから、利他の心を持つことは、最終的には自分自身の利益に繋がる。
利他の心は、決して「利己」を捨てることじゃない。
それは、もっと大きな視点で「利己」を追求することなんだ。
「でも、結局は自分のためじゃん」というあなたへ
「結局、巡り巡って自分のためになるなら、それは利己的なんじゃないか?」って思った人、いるんじゃないか?
うん、その気持ち、よくわかる。
でもさ、俺はそれでいいと思うんだ。
「利己的」っていうと聞こえが悪いけど、自分の利益を追求すること自体は悪いことじゃない。
問題は、「どれだけ視野を広く持てるか」ってことなんだ。
短期的な利益しか見ずに、他人のことを考えない狭い視野の「利己」だと、結局は自分も損をする。
でも、他人のためになることをすることで、結果的に自分も幸せになるという、長期的な視野を持った「利己」なら、それはもう「利他」と呼んでいいんじゃないか?
「利他」の心が「利己」を上回る瞬間は、その人が「自分のことだけ」から、「周りのことまで含めた自分」を考えるようになった時なんだと思う。
最後に
「利他」と「利己」は、相反するものではない。
それは、グラデーションのように繋がっているものなんだ。
まずは、目の前の人を喜ばせることから始めてみよう。
それが、巡り巡って、俺たち自身の人生を豊かにしてくれるはずだ。
「自分さえ良ければ」という狭い檻から抜け出して、もっと広い世界で生きていこうぜ。
この話を聞いて、何か感じたことがあれば、ぜひコメント欄で教えてくれ。
それじゃ、また。一緒に頑張ろうぜ!