どうも、なおモンです。
みんなは、職場で「パワハラ」に悩んだことある?
「なんでこんなこともできないんだ!」って怒鳴られたり、
「お前は本当に使えないな」って人格を否定されたり。
正直、俺も昔、そういう経験があった。
当時は「これも指導の一環なのかな…」って思ってたけど、今振り返ると、ただただつらかっただけだ。
最近は、SNSとかでも「パワハラ上司」の話題をよく見かける。
一方で、「パワハラって言われるのが怖いから、部下に何も言えない」って悩んでる上司も増えているらしい。
でもさ、本当の指導って、「怒鳴り散らすこと」でも、「何も言わないこと」でもないんだ。
今回は、「パワハラ」と「良い指導」の決定的な違いを、俺の経験も交えながら、超シンプルに解説していくよ。
パワハラは「無責任な行動」だ
そもそも、パワハラってなんだろう?
それは、立場を利用して、人の人権を無視し、心を傷つける行為だ。
そして、それは「無責任な行動」だ。
なぜなら、パワハラをする人は、
- 「部下を育てる」という責任を放棄し、
- 「怒鳴れば言うことを聞くだろう」という、安易な道を選んでいるからだ。
「パワハラをしなければ、結果が出ない」と考えるのは、リーダーの質が低い証拠。
そんなやり方で一時的に結果が出たとしても、人間関係は破壊され、離職やうつ病といった、より大きな問題を引き起こすことになる。
「良い指導」は「正しさの押し付け」ではない
昔の指導って、「指導者が正解を持っていて、それに従わせる」のが当たり前だった。
でも、現代では、そのやり方はもう通用しない。
良い指導とは、「部下に考えさせ、最も良い方法を自ら選ばせ、責任を持って成果を出させる」ことだ。
これは、心理学でいう「内発的動機付け」を引き出すことにつながる。
やらされている仕事じゃなく、「自分で考えて決めた仕事」だから、人は主体的に、そして前向きに取り組めるんだ。
指導の目的は、もちろん成果を出すことだ。
でも、「どうやって成果を出すか」がめちゃくちゃ重要。
本人の人格を尊重し、主体性を持たせながら、その成長を支援していく。
それが、これからの時代に求められるリーダーシップの形だ。
心理学で考える「良い指導者」の条件
アメリカの心理学者、ウィリアム・グラッサーは、人が満たしたいと願う5つの基本的欲求を提唱した。
- 生存の欲求(生きたい、安全でいたい)
- 愛と所属の欲求(愛されたい、仲間になりたい)
- 力の欲求(達成したい、認められたい)
- 自由の欲求(選択したい、やりたいことをしたい)
- 楽しみの欲求(遊びたい、学びたい)
良い指導者とは、これらの欲求を満たしてあげられる存在だ。
「この上司と一緒にいると、自分が成長できるし、居場所もある」
そう部下に思わせることができれば、わざわざ怒鳴らなくても、チームは自ら成長していく。
そして、最も重要な原則は、「自分がされて嫌なことは、人にもしない」。
シンプルだけど、これがパワハラと良い指導を分ける、一番大事なポイントだ。
【辛口反論】「じゃあ、何も言わなくていいってこと?」
「パワハラが怖いから、部下に何も言えないんです。このままでいいんですか?」
いや、それは違う。
「何も言わないこと」も、指導者の責任放棄だ。
部下のためにならない。
そして、その結果、成果が出なければ、会社全体の損失になる。
真のリーダーシップとは、「サーバントリーダーシップ」のように、部下を過度に管理するのではなく、主体性を持って責任を果たせるように支えることだ。
時には、耳の痛いことも言わなければならない。
でも、それは「人格を否定すること」ではなく、「成長を支援するための助言」でなければならない。
100点の出来事でなくても、60点でも「よくやった」と認め、適切な報酬を支払う。
そうすれば、部下は「次も頑張ろう」と、自ら成長してくれる。
まとめ
今回は、パワハラと良い指導の違いについて話してきた。
- パワハラは、人間関係を破壊する「無責任な行動」。
- 良い指導とは、部下に「正解」を教えるのではなく、主体的に「考えさせる」こと。
- 心理学に基づいた「リードマネジメント」で、部下の基本的欲求を満たすことが、真のリーダーシップ。
もし、今、部下との関係に悩んでいる上司や、指導に不満を抱えている部下がいるなら、一度立ち止まって、この「人間本位」の考え方について、考えてみてほしい。
お互いの「欲求」を理解し、尊重し合うことで、きっと健全な関係を築けるはずだ。


